市民〔citizen〕と結ぶネットマガジン!
建設メディア「MEDIA」
Home > 市民のページ > “歴史”も“これから”も、興味津々!

“歴史”も“これから”も、興味津々!
 戊辰戦争を境に会津藩と長州藩は犬猿の仲として知られてきた。明治元年とされる1868年に遡ってもすでに139年の時が流れている。その間も会津と長州、すなわち会津若松市と下関市は互いに歩み寄り交流を深めてきた。下関の人々も会津を敬遠し、また会津も下関を嫌ってきたこれまでの歴史があることは、福島に住む人間でも話には聞いていた。「観光の面からも今すぐに仲直りすることはいかなるものか」なとどと言う話も耳にしていた。

 そんな中で、30日に「会津若松市・下関市の歴史 いま、そしてこれから」と題する歴史交流シンポジウムが会津若松市で開かれた。これには歴史を知る上からも興味津々、降りしきる雨の中、車を飛ばして参加してきた。

 会場では午前中、「鶴ヶ城健康マラソン」に参加して10キロを走破したという現在50歳の江島潔下関市長が、マラソン会場で頂いたという“会津鶴走”と胸に書かれたTシャツ姿で登場すると大きな拍手で迎えられた。一方、52歳の菅家一郎会津若松市長はスーツで登場、まさに会津武士道そのもの。二人は席を並べ和気あいあいで”わがマチ”を紹介した。

 スクリーンには、まったく、行っても見たことのない下関が紹介されたが、知っているのは、長州藩の高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞などのほか「ふぐ料理」しか知らない。今は”クジラ鍋””アンコウ鍋”“イカ”も有名になったとかで、健康マラソンではクジラ鍋350食が振る舞われたとのことでした。

 話を本題に戻すと、戊辰戦争以前は、吉田松陰が1852年に会津藩を訪れたことや、”槍術”を通して互いの藩を行き来し合うという時代もあったとのこと。「お互い、日本を良い国にする心は同じで、戊辰戦争は兄弟げんかのようなもの。会津の人は大きな度量を持って接するべき」と会津若松市文化財保護審議会の間島勲さんはそう話した。また、下関市文化協会副会長の野村忠司さんは「会津に行くなら、山口県から来たとは言わない方が良い」という風評の中で、これまで暮らしてきたと講演の中で紹介すると会場は大いに沸いた。

 両市長は、「これからは、互いの歴史観を紐解きながら、スポーツの振興や食文化を通して、市民レベルで文化交流を深めたい」と誓い合った。下関市から訪れた22名は会津が初めてだという。下関に戻ってから会津をどう広めてくれるのか、こちらも興味津々である。(07.10.4)



Copyright (C) Medianetplan Co.,Ltd. All Rights Reserved.
このサイトに記載された記事及び画像の無断転載を禁じます。