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駒大苫小牧高野球部に明日も栄光あれ!

 57年ぶりという大偉業を成し遂げた甲子園の夏の優勝校である駒大苫小牧高野球部。結末は暴力事件にまで発展し、一端はどうなるのかとコトの成り行きを見守ったが、高野連の判断は実に明快な“大岡裁き”で、夏二連覇の大偉業が「無」にならずホッとした。何事も頂点を極めるには、一口には言えない練習の厳しさと忍耐が要求される。それなりの代償は付き物である。選手達と指導者の間には絶対的な「信頼」と親子以上の「絆」で結ばれていなければ優勝の二文字は絶対にあり得ない。
 部活は違うが、小生も40年前には決勝を争うチームで、厳しく辛い練習に明け暮れた。それだけの高校生活だったが、現在は同期をはじめ先輩や後輩との絆は変わることはない。そこには苦しさを共に味わった者にしか分からない信頼と絆がある。
駒大苫小牧高野球部
  “今度は絶対に優勝させてやりたい”と意気込むコーチや先輩から、愛のムチがやたらに飛んだが、今 となればそうした、“特訓”に耐えたことしか話題に上らない。
 今回の苫小牧高校に起きた問題も、「勝ちたい!」というナインの思いと、「勝たせてやりたい!」という指導者の思いは同じ所にあったと思う。体罰が、いつも暴力事件として取りあげられてしまうのだが、「体罰は憎しみなのか、愛情なのか」に答えが出せないところに歯がゆさはある。答えは指導者の心と部員の心の捉え方にしか答えは見つからない。そのところの信頼関係が崩れてしまえば、“暴力”ということになる。殴られた回数や痛さの程度が問題なのではない。絶対的な信頼関係が崩れたところで事件となってしまう。

 体罰を肯定するつもりはないが、当時は、先生や先輩に殴られたことを親に話したら、「何、悪いことをして来たんだ!」と親に追求され、反対に親にも殴られたものだ。だから決して親には「殴られた」とは言わなかった。親にとって先生は「聖職」であるから、「自分の息子が悪いことをした」とほとんどの親はそう思っていたものだ。

 同じ目標に向かって極限の環境で毎日練習に励む選手達とそれを指導する先生たちの環境は、我々の高校生だった頃の時代とは天と地ほどの差はあるが、卒業して30年、40年と経っても、この大偉業を懐かしく、楽しい思い出として、先生や先輩・後輩達と語られる日が来ることを願わずにはいられない。高校野球を愛するすべての人に素晴らしい感動と歓び、そして北海道と東北の球児たちに「やればできる!」 という夢を与えた駒大苫小牧高野球部に明日も栄光あれ!(05.8.28・T)《写真は福島民報8月21日付》


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