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近くで、建築技術の素晴らしさを堪能!




  「近くて遠い」のが近隣市町村。特に山形や宮城となると行政の違いからか、めったに新聞やテレビからの情報は入らない。その点、インターネットを利用すれば、ほとんどの情報が入手できる。あらかじめを情報収集しての丸森町、角田市、亘理町、山元町といった宮城南部は今回が初めての“視察?コース”となった。特に目を付けたのが、日本初の純国産ロケットH-2ロケット「木はいまも生きてますね!」と話す女性の係員の実物大模型(高さ50m)を設置する角田市である。「明日の宇宙を拓くまち・かくだ」として有名になったマチである。だが、宇宙を紹介するのではない。このマチに明治初期から大正時代に栄華を誇った大地主・氏家丈吉氏が二代に渡って建築した見事な邸宅を紹介したい。

  屋敷の初代主は、この地方で盛んだった養蚕業に着目して財をなし、二代目もまた製氷会社で成功し、以前にも増した大地主となった。資料によると屋敷は本通りに面して間口約20間、奥行40間ある敷地3101平方メートルに、店蔵、母屋、文庫蔵、前蔵、米蔵など大正末には18棟の建物があったが現在はその中の7棟が残る。特に店蔵は土蔵造りの平入桟瓦葺、海鼠壁の重厚な2階建ての蔵で明治初期の建築で外部との仕切りは、はめこみ戸と継格子戸、内部は総漆塗りである。店蔵が火事になっても母屋には飛び火しない工夫が随所に生かされ驚く。母屋は店蔵から板敷の台所、そして2階建ての玄関の間に続く。中の間には仏壇や神殿があり、上段の間には床間、違棚、平書院を配置し、開け放しにすれば35畳となる。柱、鴨居、長押にはスギ材を用い、襖は芭蕉布、引手金具にも手が込み天井は高窓で採光を十分に取り入れている。 大正10年に建築した2階建ての新屋敷は、1、2階とも上段と次の間による10畳2座敷で、1階裏側には夏座敷(10畳)を設けている。特にシャワー付きの浴室と陶器を使用した便所には贅を尽くした生活が偲ばれる。奥座敷は8畳2間続きで当時では珍しい広大な庭が見渡せる。

  「地元の大工さんは『現在も造れる技術はあるが、それに合う材料が手に入らない』といいますね」と案内してくれた女性係員の話しである。「私は常に柱や桟などを雑巾で磨きますが、本当に『木は今も生きている』ことを実感します。また、昔の建築技術の素晴らしさには驚きますね」とも。明治から大正時代の建築技術の素晴らしさに堪能したばかりか、数寄屋造りの豪華な邸宅での優雅な生活を想像できただけでも訪れた価値があった。角田市はここを郷土資料館として無料で公開している。興味のある方は一度訪れてみては如何ですか。(05/4/22)

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