病が加わったとしても不思議ではない。狭い谷の中、川筋に沿って人々が生活していれば、一度風土病や伝染病が発生すれば、猛烈な勢いで大規模に広がったであろう。そして、その被害者は、インカの人々に圧倒的に多かったに違いない。
インカの人々の活力が急速に減じたのは、人々が空中都市から谷底への移住を強制されたことに原因があったのではなかろうか。ここに考えが達した時、私には、スペイン人が持ち込んだ病気が、インカの人々の活力減退の主たる原因であったとは思えなくなってしまった。もちろん、スペイン人が持ち込んだ病気はあったであろう。それが、インカの人々の活力を減ずるまで猛烈な勢いで拡大したとすれば、それは生活環境の急変に対処しきれなかったことが原因であると思えるのである。
しかし、スペイン人の強制がなかったとしても、インカの人々は、早晩、空中都市を放棄して谷底へ移住せざるを得なかったのではなかろうか。それは、マチュピ チに限らず、空中都市では、近傍の木々が伐採され尽くすのに、そう長い時間を必要としなかったと考えられるからである。その理由は、湿潤であったはずの谷底の現状が、リマ川巡検・クスコ周辺巡検、そしてマチュピチへの往復の列車の旅で見た通り、乾燥状態に変じてしまい、国策としてオーストラリアから持ち込まれ、植林されたはずのユーカリの林が、かろうじて数本〜数十本の貧弱なコロニー状に残存しているに過ぎないことで十分であろう。空中都市は、元々乾燥しており、木々の生育には適していないのであるから、比較的早い時期に、木々は全て伐採し尽くされてしまったのではなかろうか。
ペルー滞在中もそう思っていたが、帰国して、空中都市についての疑問が解けたと感じてからもその感を強くしたのは、ペルーの様な厳しい国土条件下で、人々が衛生的な、そして、豊かな生活を営むためには、住環境の大幅な改善(造り替え)と収入増を急ぐ必要があるのだから、フジモリさんのような、カリスマ性があり指導力のある、強い人が必要なのではないかということであった。だが、その人も、私達が帰国してまもなく、日本に来て失脚してしまった。そして、今でもペルーに戻れそうもない。
インカでは、階層社会の頂点に立つ人の扱いは独特であったらしい。例えば、神官の場合は、通常は権勢を振るっていたが、一旦早魃になると、神に対する祈りが不足した結果と考えられ、職務怠慢とされ、処刑された(と案内人は言っていた)。故に、ややもすると、権力者の末路は、悲劇になりがちであるという。これもまた、現代にひきつがれているのだろうか。
インカの人々に提供できればよかった、と思えたのが、日本の炭焼き技術である。これに代わる何物かを、インカの末裔でもある現在のペルーの人々に、日本から発信できればなあ!と思う。それは何なのだろうか。現在の私には思い当たらない。(05.3.11)《終わり》
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