なぜ、インカの人々は空中都市に住み、
そして、空中都市を捨てたのか
(前編)

 
大 村 一 夫(大和地質研究所代表)
 
  あの急な斜面をジグザグに登って(といっても、マイクロバスに乗っていたが・・・)、たどり着いた空中都市マチュピチは、平地に住む私には、極めて奇妙な生活の場に思われた。なぜ奇妙なのかを考えながら、遺跡を見て回ったが、謎が解けたと思えたのは、帰国し、2〜3週間が過ぎてからであった。現地では、謎が解けず、謎を持ち帰ったのである。高山病のためだったのだろうか?今もってわからない。
  マチュピチに着き、ゲートを通って遺跡を一望したとき、この馬の背のような斜面に石を積んで段々畑を造り、貴族(1,500人と案内者は言った)と貴族の生活を支えた貧しい人々を合わせて10,000人に達したであろうと思われる住民の安住の場を造るということを、よくもまあ考え付いて、実行し、そしてつくり上げたものだと、あきれてしまった。

  石造りの住居で生活できたのは1、500人居たという貴族だけであろう。しかし、その屋敷は棟割長屋状で、狭い通路に面して並ぶという、正に、江戸の長屋を石造りにして、山頂へ持ち込んだようなものだった。ここでの生活は、正真正銘の山小屋生活であったように思われる。個人のプライバシーなど、貴族であってもないに等しかったのではなかろうか。それでも、彼らは恵まれていた。その7〜8倍は居たであろう貧しい人々は、どこに住んでいたのだろうか。貴族の居住区を除くと、見渡す限りの石造りの段々畑であり、その一枚一枚はビバーク用のテントでの生活と同様の生活でもしなければ、人が定住できる状況ではない。
  川がない。井戸を掘っても水が出るはずがない。岩陰にミイラを置いても、腐敗することのない乾燥地である。平地がない。しかも段々畑を埋める土は、肥沃であるはずがない。あるのは、山体の岩盤とその表層を形成する岩塊とわずかな崩積土と、岩場に生える木々だけというところに、なぜ人々は住みついたのかがわからなかった。どうして、こんな所に!と思いながら、遺跡を見て回った。

  こんな所に、10,000人もの人を安住させ、自給自足することを発想する人間はどんな奴なのかと興味を覚えた。そして、貴族の生活を支えた人々の生活の厳しさは、想像を絶するものであったのではなかろうかと思うと、気が滅入ってきた。はたして、彼らは、手足を伸ばして、暖かく寝ることができたのであろうか。遺跡を回るうちに、飲料水は尾根伝いに引かれていて、地中に埋
められた人工のパイプ
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