被災地で認められた唯一のボランティア精神
新潟中越地震で活動の福島県建築大工業協会

 福島県建築大工業協会(瀬谷善寿会長)のメンバーが11月28日から12月3日の7日間にわたって、新潟中越地震で被害を受けた小千谷市で救援活動の一環として仮設住宅の内部造作に当たった。同協会の理事であり、今回の派遣メンバーの一人として活動に参加した三浦工匠店(福島市)の三浦藤夫氏に活動の様子や現地状況などについて伺った。三浦さんは余震が続く中、国内でも屈指の豪雪地帯での作業を無事に完了することができ、「被災者の皆様が降雪前に仮設住宅への入居が可能となり現在はほっとしている」と胸をなで下ろす。現地から戻って間もない12月14日、現地でお世話になった小千谷市の小千谷市建築組合(本多剛組合長)から早速、救援活動を労う感謝状が届いた。三浦さんは、「同じ仕事を生業とする仲間にふくしまの心を伝えられた気がします」語った。(取材・T.S)

 10月23日午後5時50分ごろ、新潟県中越地方をマグニチュード6.8、震度7の直下型の強烈な揺れが襲った。その後も震度6クラスを含む無数の余震が続くことになる。被害の規模は死者40人、負傷者約900人、全壊家屋808棟、半壊家屋は1,735棟にのぼった。それから、約1ヶ月後、(社)福島県建築大工業協会としても、隣接県で住宅建築にたずさわる者として何か手助けできないかという話しが持ち上がり、ボランティアとして同協会の有志16人が集まった。同協会のボランティアの申し出に対し、受入れ側の小千谷市では、他の都道府県の団体も救援に訪れており、それらは無償ではないため、公平性を保つためにも、一定の日当だけは受け取ってほしいとのことだった。しかし、他の都道府県の協会からボランティアの申し出はなく、唯一ボランティアを申し出た福島県建築大工業協会の精神は多いに認められた。

皮肉にも風雪に耐える瓦葺建築に被害大

三浦氏はテレビニュースや新聞を通じて被害の様子は見ていたが、現場に行ってその甚大さを改めて実感したという。直下型地震特有の突上げにより土台から柱の根ほぞが抜け、最も肝心な筋交いが効果を失い横に押しつぶされていた。また、柱の柄が抜けなかった建物は胴差し部分で通柱が折れて「く」の字型に被害を受けた。めずらしいのは小屋組みだけが横すべりを起こし、斜めにずり落ちた建物があった。小屋組みが積雪による被害を防ぐ構造となっており、頑丈な造りとなっていたためであると考えられた。また、雪や風に耐えられるようにと、瓦葺になっていた建物は被害が大きかった。
 これに対して阪神大震災以後、耐震基準が変わり、平成8年以後の建築物はほとんど壊れていない。阪神大震災の教訓通り、土台から柱が抜けないようにホールダウン金物は絶対必要で、筋交いもバランス良く太い物が良いと感じたという。真壁貫工法でも通し貫を内側にずらし、外側に通常の筋交いを入れれば震度7程度でも倒壊は十分に免れることも分かった。

手付金を手に行方くらます不届き者の存在

 同協会で救援活動を担当したのは小千谷市内のポリテクアカデミーセンター内のグラウンドに設置することになった仮設住宅1棟。2LDKを中心とする7戸分の間仕切りや枠、床、天井などの内部造作を行った。小千谷市の市会議員で小千谷市建築組合長を務める本田剛氏の選挙事務所に寝泊りし作業を行った。当初11月28日から3日間の予定だったが、受入れ側の強い要望もあり、派遣された16名中9名の作業は12月3日までの7日間に延長された。作業に当たった期間、新潟地方は天候が不順で、グラウンドがぬかるみ、資材搬入に手間取ったという。また、ガス、電話、舗装などの工事が同時に行われたため、現場は混乱した。道路はあちらこちらで崖崩れやひび割れで寸断されていた。道路が沈下し、下水道のマンホールだけが突出するような状態があちらこちらで見られ、車が乗り上げると立ち往生することもあったという。
 また、救援活動に対して感謝の気持ちを表す地元の人々が多い一方で、「どうせ被害者の弱みにつけ込んだ営業活動だろう」という不信の言葉をもらす被災者もあったという。その言葉の裏には、一見ボランティアを装いながら多額の金銭を要求する業者や住宅の修繕費用を安く見積もり、手付金と称して金を要求、そのまま行方をくらますといった不届き者の存在があった作業を無事に終えて、三浦さんは、「福島県内にも多くの地震断層があり、中越地震は決して他人ごとではない。阪神大震災以前の基準で造られた建物の被害が深刻だったことを考えると、そうした建物の耐震補強の必要性を強く感じた」という。(04.12.15)

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