不思議まみれの古賀議員

 近頃の選挙にはやたらに変な後遺症がある。戦後の各種選挙に興味を持ち、新聞記者になってからは仕事で選挙に没入した。しかし、今時のように学歴詐称だの、候補者が自らカネをばらまいたりして議員辞職に追い込まれるケースは滅多になかった。それがどうだ。いまはぞくぞく出てくる。政治家を目指す人材が余りに小粒になりすぎたのか、政党間の権謀術数がからんでいるのか。

それにしても福岡の古賀潤一郎衆議院議員のケースは恥を3回も上塗りしているようで腹立たしい。大体、いかにアメリカの大学とはいえ、自分で「卒業したかどうか」が分からないなんてことがあるんだろうか。卒業証書は大学から自分で受けるもんだろう。重大な理由があって式に出られなくても、後日に自分で大学に貰いにゆくはずだ。それが「米国の弁護士が貰っている」などと弁解した。なんで弁護士なんだ。卒業証書は大学からだろう。仮に弁護士が貰ったとして、その証書を自分で見ていなかったのか。これが不思議その一。
そんなアヤフヤな‘卒業’を衆議院選挙で、よくもシャーシャーと履歴に掲げられたもんだ。有権者というか世間を甘く見過ぎてはいないか。逆に「ぺパーダイン大学に働きながら通ったが、単位が少し足りず卒業出来なかった。これからでも単位を満たして卒業したい。少し待っていて欲しい」と有権者に訴えたら、共感を得られたのではなかったか。これが不思議その二。(写真=お詫びと感謝の古賀氏のホームページ2月6日現在)

学歴詐称問題が表面化してからの古賀氏の言動はますます奇怪になる。最初に「卒業していなければ、議員を辞職する」なんて威勢のいいことをスパッと言ってのけた。「それじゃあ、勿体ないな」と支持者の同情を買ったが、ロスで取材したマスコミからの情報は悲観的なものばかり。そしたら国会開会中だというのに、大学での事実確認のために渡米した。マスコミの集中砲火の中に飛び出した。そして学歴詐称がハッキリすると、なんと議員辞職を撤回し「国会閉会中に渡米して残った単位を取得して卒業したい」と言ってのけた。ケジムメは民主党を離党することに置き換えた。「歳費も返上する」と言うが、返上は国への寄付になり公選法で禁じられていて不可能だ。議員報酬を貰いながら大学に通ったら、それこそ有権者は大怒りだろう。そんなことが許されるもんか。この人物の不思議その三である。自民党の山崎拓副総裁を落選させた区だけにニュースバリューが大きくなったが、本質はどこでも同じ。議員の持つ重さへの認識が甘い、ということだ。ここまで来たら辞職しかあるまい。(2004.1.28)


ワンフレーズだけでは騙されない

昨年11月15日付け毎日新間3面に掲載された岩見隆夫氏の「近聞遠聞」は面白かった。この11月15日というのは今から74年前、昭和5年のこの日に束京駅頭で時の浜口雄幸(おさち)首相がロンドン軍縮条約に反対する右翼青年にビストルで狙撃された日である。浜口“ライオン宰相"はこの時は死ななかったが、撃たれた直後に口にした言葉が「男子の本懐だ」である。この言葉は、その後も政治に命を賭けた男の生きざまを表すセリフとして歴史に残り、城山三郎の小説の題名にもなった。これを手始めに、岩見さんはこれまで政治の緊迫した場面で吐き出された名セリフを集めて感想を述べている。

 次は「曲学阿世の徒」だ。戦後間もない昭和24年5月、吉田茂首相が全面講和を主張し続ける南原繁東大総長を“真理を曲げる学者だ"と頭から批判して言った言葉。吉田の単独講和への強い執念を示した。以下「政権を取らない政党は、ネズミを取らないネコと同じだ」(昭和35年1月に結党した民社党の西尾未広初代委員長)、「現在のデモは『声ある声』だが、私はむしろ『声なき声』に耳を傾けたい」(国会が安保改定反対デモで囲まれた時の岸信介首相の口からもれた)、「政界、一寸先は闇だ」(昭和35年ころの自民党幹事長・副総裁川島正次郎氏が使った。今も常用語)、「山は動き始めた」(平成元年7月、参院選で社会党が議席倍増の大躍進を遂げた時の土井たか子委員長のセリフ、14年後に党首の座から下りるとは・・)、といったところだ。

 実はここで言いたいのは、それ以後に政治家が口にした、または掲げた言葉で後世まで残るようなセリフはとんと聞かなくなった、ということである。先の政権争奪の衆院選でも、小泉純一郎首相からも菅直人代表からも記憶に残るセリフはなかった。まして安倍晋三、岡田克也両幹事長においておや、だ。世の動きを的確に掴んで迫力ある言葉で国民に投げ返す政治家がいなくなった証拠か。小泉さんの“丸投げ"以来、そのワンフレーズも色褪せた。
小沢一郎さんが雑誌「選択」12月号の巻頭インタビューで「フレーズだけの総理よ、恥を知れ」と語っている。「小泉首相の一番の問題点は?」の質問に「フレーズだけで、中身なし。他人任せで、責任を持った決断をしない。本質は目民党政治そのもの。かっての総理は能力が無くても、恥だけは知っていた」と手厳しい。そういえば「純ちゃんと 叫んだわたしが 馬鹿だった」という川柳があった。国民は目覚め始めている。
(2004・1‐23)


よだれが垂れる刑務所誘致

 福島市で行われている大型工事の一つに福島刑務所の増築事業がある。すでにこのメディアネットのページでも富田正廣主幹が同事業説明会の模様を通して事業の概要を報告しているが、いま全国的にみると「“迷惑施設”で糊口をしのぐ地方自治体」の姿が浮き彫りになってきている。(写真=地元住民に工事の進捗を知らせる福島刑務所施工業者発行のミニコミ紙)
 率直に言って、刑務所はじめ廃棄物処理施設、し尿処理場、焼き場、果てはカジノなどといった、本来なら「そばに作られるのは御免だ。余所に行ってくれ」と猛反対が起きるような、ハナつまみの厄介ものだったものが、今や誘致に懸命な市町村が数多い、という現実が日本を覆っているのである。
 地方分権とか、三位一体の改革、先には東北の北3県では道州制の論議を始めるなど、21世紀は“地方改革の時代”などと持て囃されているが、実態はそんな甘いもんじゃない。理由の底にあるのは「過疎」だ。3割自治どころか過疎に喘ぐ市町村は自主財源の税収が落ち込み、人口増や税金収入が伴うなら何でも目をつぷって誘致してしまう、というご時世だ。

 その一例が刑務所なのである。福島市のは収容能力を2000人増やすための増築だが、法務省は新たに全国の何処かに1カ所刑務所を開設することになっている。その誘致になんと全国から51自治体が名乗りをあげた。網走で有名な‘本場’北海道から20市町村、さらに秋田県横手市、島根県旭町、福井県門前町などなど。これらに共通するのは[過疎の町」。北海道は炭鉱が閉山して人口減に悩まされている。人口が4000人を割ると地方交付税は半分になる。「なんとか4000人を維持したい。なら、てっとり早いのは刑務所の誘致」とぞくぞく手を挙げた。囚人でも、だれでも構わない心境なのだ。

 昨年8月、法務省は候補地を4カ所に絞った。発表内容は「兵庫県加古川市と広島、山口、鹿児島3県の各1都市」などと住民の反発を恐れたのか、あいまいな表現だった。しかし既に新聞などで積極的なPRしていたから、それぞれ竹原市、美祢市、枕崎市であることは周知の事実である。1000人収容の刑務所なら職員と家族で1000人、つまり2000人が一気に増えるのだ。囚人は住民基本台帳には登録されないが、5年に1度の国勢調査では人口に算入される。年に2億から4億円の交付税効果が出るという。市町村長にとっては、たまらない魅力だ。東京ばかり見て「どこが不況か」とのたまう政府首脳がいるが、こうした非常実態を見ない政治では国は減ぶ。(2004・1・26)