あな倉にいたフセイン

 サダム・フセインがとうとう捕まった。元大統領はあな倉に髭ぼうぼうでいた。脇に75万ドル(8100万円)を持っていたという。どんな積もりで穴にひそみ、見つけられた際はどんな心境だったのか、その辺のことにすごく惹かれる。一国の独裁者の人生観というものがどんなものか、私なんぞケシ粒みたいな庶民には到底はかり知れない事かもしれない。でも同じ人間だ。なんでこんなみじめな姿で人目に晒されなければならなかったのか、この悲劇的な結未を迎える前にもっと別の方法は無かったものか、と変な意味で同情する。

 イラク戦争が一触即発の段階になった頃、イスラム諸国首脳の中に「フセインを亡命させよう。そうすれば戦争は回避出来る」という意見が高まった。この欄でも2003年早々に「フセインを亡命させろ」という一文を掲載した。その中で「フセイン大統領がアメリカを徹底的に敵対視し国民を煽って戦争体制を築いているが、その国民の後ろ姿になんか悲壮感が滲んでいるのだ。このままだと“玉砕"という結末しかあるまい」「そこで、アラブ諸国で話し合ってフセインを何処かに亡命させるのだ。すでにそんな論議が行なわれている、というニュースも目にした」と書いた。でもフセインは戦争になるのを知っていて何の解決策もとらず妥協を拒んだまま、あの惨めで一方的な戦争にイラク国民を巻き込んだ。あの時、フセインは本当にアメリカに勝てると思っていたのだろうか。米国の超近代的な兵器をどう評価していたんだろう。超大国がアメリカー国だけになって何でも力でねじ伏せることに不安感があるのだが、“ワンサイドゲーム”は予想された通りだった。フセインにはそれが「予想どおりだったのか」「開けてビックリ、だったのか」ぜひ知りたいところだ。

 こんなことにこだわるのは、太平洋戦争で中学生になっても「日本では元寇の時のように、神風が必ず吹いてアメリカ艦隊が沈む」と信じ込まされた経験があるからだ。挙げ句の果ては玉砕の連続だった。日本軍閥の首脳たちは彼我の戦力の差を認めようとしない石頭と化し、国民を悲惨な運命に晒した。フセインも日本軍閥のように四方八方が見えない石頭だったのか。何が彼をあんなにまで頑(かたく)なにしたのか。あな倉から出されるとき「交渉しよう」と言ったというが、今頃何を言っているのか。この一言が石頭を示唆しているように思えるのだが・・・。日本敗戦から58年、あの悲劇がまた繰り返された。人間とはこんなに教訓から悟れない無知な動物だったのか。(2003・12・17)
元福島民報社専務取締役
編集局長 星 一男