焚き火も出来ない社会

 平成15年3月18日にこの欄で「ダイオキシン猛毒説は焼却炉業界と政治家の陰謀か」という文を書いたが、最近になって再び「馬鹿げたダイオキシン過剰規制」(月刊「選択」11月号)、といった記事を見かけるようになった。平成l l年7月に国会で成立した「ダイオキシン類対策特別措置法」は大失策の法律だ、とする学者グループが「ダイオキシン一神話の終焉」という本を出した。東大生産研究所教授の渡辺正さんと目白大学教授の林俊郎さん、というレッキとした学者の出版である。

 その中で指摘されている点を上げると「ダイオキシンは3億年前から存在する天然物で、山火事でも発生する」「塩化ビニ一ル主犯説は誤りで、ダイオキシンの源は主に過去に使われた未分解の農薬」「“毒性はサリンの2倍”はモルモットの実験データを意図的に人間に当てはめた”数字いじり”で、人生1 0回分の食事を一度に食べない限り、急性中毒で倒れることはない」といった具合だ。つまり、お二人の研究に従えば「人の活動に伴って発生する科学物質」「本来環境中には存在しない」などと規定するダイオキシン規制法は間違いだらけの法律、ということになる。ところが、こんな“大失策”の法律を問題視する声や騒ぎが一向に起きてこないのは、どうした訳なんだろう。

 そうこうしているうち、年末を控え神社・仏閣では頭を抱える事態が迫っている。これまで廃棄物処理法でも例外とされてきた「神棚飾りのどんと焼き」や落ち葉を集めて燃やす「焚き火」まで、ダイオキシン規制法ではご法度になっていることだ。京都の神社では「境内で落ち葉焚きをしないように」との強硬な行政指導を再三受けている、という。家庭での焚き火も同罪だ。庭で落ち葉を集めての焼き芋も出来ないのだ。こんなバカげた社会なんてあるもんか。全ては一部の環境マニアが主張し続ける“いびつな正義感”のなせる業なのである。

 このままで行くと、ダイオキシン規制法は神社・仏閣での日本古来からの伝統行事をことごとく否定しかねないのだ。ダイオキシン騒動でテレビ朝日に勝訴した埼玉県所沢市の深川隆元市議の「お炊き上げには清浄さを追求する日本古来の素晴らしい哲学がある。これで命を落とした人がいるだろうか。千年、二千年と続いてきた知恵を、他人の尻馬に乗って批判するのは愚かである」という言葉が胸をつく。ここにもカサカサしてゆく日本の姿がある。(2003・11・15)
元福島民報社専務取締役
編集局長 星 一男