派閥が空中分解

 日本の仕組みが音を立てて‘脱皮’している、と考えさせられたものの一つが今回の自民党総裁選の有りようだ。一口に言うと「自民党にはもはや、かっての派閥は存在しない」ということだろう。

 なぜ、ここにきて“党中の党”とさえ思えるほど強固な結びつきを誇っていた自民党の派閥がぼけてきたのか。それは「派閥のうま味」が無くなったからである。この辺のことを毎日新聞の岸井成格編集委員は「派閥の領袖が金を集められなくなり、その分配が無い」「政治の変化とともに、派閥にいても順繰り大臣のイスが回って来なくなった」「衆院の小選挙区制が派閥ぐるみ選挙を消してしまった」の3点を理由に上げている。なるほど、昔は派閥にじっといて当選回数を重ねていると、“次は誰々さんの番”と5〜6回の当選で大臣のイスが転がり込んできた。組閣になると各派閥は1つでも多くの大臣ワクを確保しようと領袖は動き回った。選挙の匂いが出始めると餅代と称する軍資金が配られ、衆院解散ともなれば応分の選挙資金が渡されて一斉に選挙区に戻ったものだ。派閥に縋っていれば、政治家として一応は成り立っていたのである。

 そんな時代がいつの間にか薄らいで、今回の総裁選で派閥崩壊が一気に表面化した。特に、小泉首相は派閥の論理を否定して総裁に就任し、何かと言えば「自民党をぶっ潰す」と声を荒らげた。派閥領袖の意を介さずに大臣を一本釣りした。財界は政治資金を出さなくなった。こうした新しい流れに最も怒りを露わにしたのが「政界引退」と宣言して退路を絶って反小泉闘争を宣言した野中広務氏である。2年4カ月にわたった小泉政権は別の言い方をすれば「小泉対野中戦争」の日々であった。そして、この野中引退は派閥万能の時代の終焉を意味するのだ。2000年4月に小渕首相が病に倒れ政界復帰が絶望になったとき、後継に森喜朗氏を選んだのは派閥政治による談合の結果だった。野中氏や青木幹雄氏ら「密室の5人組」のなせる技だったのである。その骨組みが今回総裁選では軋み、グラグラと揺らいだ挙げ句、空中分解してしまった。

 最大派閥で野中氏の仕切る橋本派が自派の藤井候補をかかえながら小泉支持に走る幹部が続出して分裂、堀内派も内部はバラバラだ。これは時の流れと言うほかあるまい。“脱皮”が音を立てて進んでいる。さて、派閥政治の後は自民党にどんな組織原理と手法が現れるのか。ここに日本の政治の行方が懸かっていると言ってよいだろう。
                 (2003・9・10)
元福島民報社専務取締役
編集局長 星 一男